近年、コミュニティや組織運営の場で、「何をするかではなく誰とするか」を重視する考え方が広がっている。確かに、信頼できる人と協力することは大切だし、チームの雰囲気や相性が成果に影響を与えることも少なくない。しかし、この発想が行き過ぎると、目的や課題の本質が見えにくくなり、適切な判断ができなくなるのではないだろうか。
僕は、「何をするかではなく誰とするか」という考え方を、「誰かが何かをする」という構造として捉えている。つまり、最初に「やるべきこと」が決まっているのではなく、「誰が動くか」が先にあり、その結果として何かが生まれるという順序だ。この考え方は、特にスタートアップやプロジェクト型の仕事ではよく見られるし、創造的なチームづくりにおいて一定の合理性がある。たとえば、「このメンバーなら面白いことができそうだから、何をするかは後で決めよう」といった発想は、柔軟で新しいアイデアを生み出すきっかけにもなる。
しかし、個人的には「何を誰がするか」という目的優先型の考え方こそが、長期的な視点で持続可能な成果を生み出すと考えている。なぜなら、どんなに優れた人材が集まっても、何を目指すのかが明確でなければ、方向性が定まらず、無駄な動きが増えてしまうからだ。逆に、目的が明確であれば、それを実現するために最適な人材を選び、適切な役割分担をすることで、より効率的で質の高い成果を生むことができる。
この問題は、組織やプロジェクト運営だけでなく、行政のあり方にも当てはまるのではないだろうか。行政の政策立案や事業運営において、「誰と連携するか」に重きを置くことが多い。もちろん、既存の信頼関係を活かした協力は重要だ。しかし、それが優先されるあまり、「何を解決すべきか」「そのために本当に必要な方法は何か」といった本質的な議論が後回しになってはいないだろうか?
例えば、地域活性化の施策において「地元の団体と協力すること」が目的になり、本来の課題である「地域の経済をどう立て直すか」「若者が定住できる環境をどう整えるか」といった議論が二の次になるケースがある。また、福祉や教育の分野でも、「既存の制度の枠組みの中で、長年の協力関係がある組織と連携すること」が優先され、新しい視点やより効果的な手法を模索する姿勢が弱まってしまうことがある。
本来、行政が果たすべき役割は、「何をすべきか」を徹底的に考え、その目的を達成するために「誰が最適か」を見極めることではないだろうか。関係性を重視しすぎるあまり、本質的な課題が見過ごされるような構造があるとすれば、それは行政の役割としても大きな問題だ。
また、これは民間の組織運営においても同様の課題がある。多くの企業や団体では、人間関係の円滑さを優先し、適材適所の判断が後回しになることがある。特に、リーダーシップが関係性に依存しすぎると、意思決定の軸がブレやすくなり、組織全体のパフォーマンスが低下するリスクがある。例えば、「この人が中心だからこの方向で進めよう」といった判断は、一見スムーズに見えるが、もしその方向性が本来の目的とズレていた場合、修正が難しくなる。
このような状況を防ぐためには、「誰とするか」ではなく「何をするか」に焦点を当てることが重要だ。もちろん、信頼関係は大切だが、それが目的を不明確にする理由になってはいけない。まず「何を達成したいのか」を明確にし、それに最も適した人材や組織を選ぶことで、本来の目的に忠実な取り組みができる。
僕自身、これからも「何を誰がするか」という視点を大切にしながら、関わる人々とより良い成果を生み出せる関係性を築いていきたい。そして、行政にもぜひ問いかけたい。「何をするかではなく誰とするか」に囚われすぎて、本来の目的を見失っていないだろうか?本当に必要なことを見極め、その実現のために最適な人材やパートナーを選ぶことこそが、行政に求められる姿勢ではないだろうか?
あなたは、「誰とするか」と「何をするか」、どちらを優先していますか?